
漢倭奴国王・倭国王帥升・卑弥呼が大陸の史書に表れるのは、弥生時代末期から古墳時代への移行期のできごとです。
古代、政治は「まつりごと」と呼ばれ、神を祀ることと同一視されていました。現代に残る、伝統的社会では現在でも見られる現象です。このため、神を降ろせなければ、政治は行えません。
日本では、女性のシャーマンが祭司となり、その近親の男子が政治・軍事を司る、ヒメヒコ制が広く認められるとされています。ヒメが宗教・呪術を行い、ヒコが行政・軍事・財政を担うという形です。ヒメヒコ制では男女双系の王権が成立していたと考えられます。
余談ですが、ローマ帝国皇帝は最高神祇官も兼務していました。神祇と政治が一体化しているのは、洋の東西は問わない現象です。シャーマニズム・神祇官・神官制度、いろいろな形が世界中にありました。
ヒメヒコ制的な統治はその後も見られ、後述する女性天皇にも対応する「ヒコ」が、見られるケースもあります。(推古天皇=聖徳太子・皇極天皇=中大兄皇子など)
一方、日本全国の古墳の主な被葬者として、一定数の女性が認められることから、この時代に「女王」もしくは「女性首長」がいたことは間違いないところです。戦争が常態になると、女性首長は減少していきます。卑弥呼のような、統合の象徴的意味合いを持つ女王はいたかもしれませんが。古墳の副葬品として、女性の場合は祭祀具、男性の場合は武具が多く認められることは要注意です。[岩永、2024]
また、現在残っている風土記にも、各地の女性首長の名が見えます。[風土記]